延命堂 小笠原雅憲

ESPMyraホーム/延命堂 /霊視内容/小笠原徒然書き平成17年/平成18年/平成19年/平成20年


平成十八年九月

 以前にも書いた様に、人の魂(樹木に例えれば見えないが根っ子に相当する)について改めて考えて見ます。私達人間はこの世で生を受けた瞬間、肉体と言う衣をまとってこの現世に生かされます。しかし決してたまたま偶然に生まれた訳ではありません、これも永遠に続く魂の進化の途中であります。
 魂自身はこの世に授かる以前は、この現世で何を学ぶべきか分っていますし、又その環境は自分にとって最もふさわしい事も分っており、自ら進んでこの世に生れ出る訳です。
肉体をまとうと普通は3才位までに魂の記憶はなくなり(実際は七才まで過去世とつながっている)その後、進化のためこの世の辛い修行が始まります。ただその修行は辛いだけでなく、慈悲(愛)や希望と言う進化のための最も大事なことも同時に与えられ、生かされて行く訳です。

 今申し上げた事の中で、慈愛について語ってみます。どんな人でも自分が一番可愛いものです、つまり自己愛は誰にでもあり、人との関わりもまず自分を中心に考えがちです。しかし人間関係や日頃の生活の中で、自己愛が行き過ぎるとついケンカや生活面でのトラブルという事にもなりかねません。この世に生を受け、生きていく上で、大事なこと事は、自己愛と同時に他人を愛する心を同時に持つ事が、現世に生きる人間にとって一番大事な事だと言えるでしょう。


真言密教について。

 私が今している事は真言密教(基本はシルバーバーチ)を主に念頭に行っているのですが、簡単に真言密教について説明をしたいと思います。
 一口に言うと密教では、即身成仏(この身体をもって仏の境地になること)への道です。その際、大切な事は、人間は現在を生きており、現在過ちを犯しているなら、今それを償い改め反省し同時に良い方向に学ぶという生き方が大事であります。過ぎ去った事への後悔や未来に対する不安を思うのではなく、今をどう生き、どう良き道を進むかが大事と考えます。それは前にも書いた様に、今ある姿は先祖も含め集約された姿であり、今が正しい姿ならば同時に先祖も変わると言う事です、そして未来も同様であります。今を変える勇気をもちましょう。

「魂との交流」 平成十八年五月(四国巡礼から帰って)
 
 四国に行くまでは、病の後遺障か歩行時のふらつき、更に倦怠感、無気力の日々でありました。そんな自分を四国に駆り立てたものは、何だったか?同時に巡礼を通して解った事は何だったか・・・その明確な答えはどうやら今すぐには頂く事はで来ません。ただ、一つわかった事は、どんなに苦しくても一歩でも半歩でも前に進みなさいと言う事でした。そしてその先には必ず新しい道(光明)が待ち受けていると言う事でした。
 四国では獣道の様な遍路道、永遠に続くかと思える山道、今までの自分には考えられないまさに究極の業にもかかわらず、不思議な事に翌日には筋肉痛で大変だと思う脚が痛くなく、更には宿を取らないため睡眠時間が三時間の日が続いたにもかかわらず、やはり翌日には歩けるのです。そして巡礼の当初風邪を引き扁桃腺、鼻水、悪寒に見舞われこのままでは肺炎になるのではないかと思う事もありましたが、これも不思議に乗りきり二日間ほどで完治しました。有り難いことに道中誰かがずーと私を見守り、守って頂いたのは確かに感じております。
 遍路の途中弘法大師(空海)が修行をした、室戸岬の先端にある御厨人窟(みくろど)で二日間皆さんの幸せと自分の業も含め、瞑想とお経を上げさせて頂きました。ここで業が出来た事だけでも四国に来た大きな意味があったと思います。その際その洞窟の前で一夜を過ごそうとしましたが、さすがに夜中のその付近に漂う強い霊気には耐えられず一時半には退散しました。そんな道中、死を覚悟したような方や全国のお寺を行脚し寺の前で木彫りの仏像を作る方、托鉢で遍路する方等を見る時、こうして皆さんのお陰で巡礼が出来る自分がいかに幸せか、心から感謝の気持ちでいっぱいであります。
 今回は父親の供養もあり足摺岬にある三十八番札所(金剛福寺)までの巡礼でありましたが、J・waveのナビゲイター金剛地武志氏の取材から始まり金剛福寺そしてまだ結願ではありませんが、最後は高野山の金剛峰寺と偶然とは思えない道を歩まされており、いつの日か八十八箇所の結願成就が出来ますよう更に精進致し、改めて今回の四国巡礼にご尽力頂きました方々に厚く御礼申し上げます。


平成十八年四月

 先月卯辰山に在住するお寺、通称五本松(宝泉寺)に行きそこの住職にお会いしお話をお聞きして参りました。真言密教の中でも最も過酷である八千枚護摩供養の炎を前に座して七時間挑み、見事に結願された方です。高野山からこの金沢に来て十一年、大変な修行と苦しみを乗り切り、今多くの信者さんを支えていらっしゃるようです。その住職がおっしゃるには、当初ここに来た時には、人々の苦しみを私が何とかしてあげようと思ったそうです。しかし十一年たった今ではただひたすら仏にお仕えし、その人を何とかするのではなく、その方自身がご自分で切り開いてもらうお手伝いを、仏のしもべとなり、ひたすら祈りと共に日々精進なさっているそうです。
 ご住職のおっしゃるには、あの世もこの世も一つであり、今ある姿はそれらの集約された姿であり、今おきたる事実(苦しみ等)をあの世や霊だけのせいにしてはならないとの事でした。私もここ桜田に来てはや五年になろうとし、病気以後ようやくその事に気づきつつ、更にその真なる道を求め、来月早々に四国八十八箇所巡礼の旅に出かけたいと思っています。
 病気以来、生かされていることに気づかされ、昨年後半から更に何かが変わろうとしている自分に課されたことの一つは、この巡礼であったと思います。おそらくこの巡礼は「答え無き道を、答えを求め続ける」旅になるとは思いますが、何かが変わるのをただじっと待つのではなく、自らが行動し切り開くべきこと、そのことにも気づかされた訳です。
さて、四月の八日に好例の静岡に行ってまいりました。今回は今までで最多の方々が参加下さり、中にはご家族一同お見えになった方もいました、そして「こうして家族全員で一泊旅行が出来るようになった」と涙ぐむご主人をみて、心からこのツアーを行って良かったと思いました。
 話は変わり三月三十一日に東京の六本木ヒルズにある関東で一番のFM放送局J・WEAVからの出演依頼がありました。今回は現世利益では無く純粋に降霊と言うことでOKし、金剛地武志氏との二時間以上のトークや降霊を録音しましたが、本来私が伝えたいスピリチュアルな事については残念ながら本番では放送されませんでした。ただスッタフが十人ほどいましたが、実にいい方ばかりで、私の話を真剣に聞き、皆さん率直に受け入れてくれました。後日また金沢に取材に来るようです。


平成十八年一月

 今庭の樹木を見ています、大きな木、小さな木、枯れそうな木、実にいろんな樹木があります。私たちはそのそれぞれの樹木の下には根があることを知っています、しかし土の下で見えない事も有り、つい根についてはあまり考えようとはしません、私たちが樹木を見て綺麗だなと思うのも、その根があるお陰だといえます。
 つまり人間で言うと肉体ばかり見て人間の中心である霊体についてはなかなか見ようとしません。残念ながらこの事を理解出来ない人が多いのが現実であります。しかし私たちはこの大宇宙の中の一部であることも事実であります。私の所に来られる方の八十%はこの魂[霊体]との接触を経験します。この事が真にその人の魂に響いて魂の存在を頭の中では無く、「魂」が理解するのです。
 中には未浄化霊がその人の魂に入ってくる時や先祖の霊、守護になっている霊、そのことによってびっくりもし更に怖がる人もいますが、知ってほしい大事なことは魂の存在を知ることによって、「魂」の永遠性に気づき、どう生きて行くのかその人の生き方のきっかけになり、同時にそのことが霊的真理に関心を持つようになればと思っています。
この世に生まれた以上人は色々な苦しみや挫折、試練があり、その辛さを乗り越え生きるのが人生です。人生山あり谷ありとはまさにその続リであり、その山を登りきった時にまた次の新たな山が見えて来るものです。そのくり返しが人生であり、そうして苦難を乗り越え成長して行くのでしょう。私の所にみえる方の中にはそれぞれ苦難を抱え、迷い苦しみ抜いてお見えになる方もいます。中にはその苦しみを除霊で解決できると安易に考える方もいます。しかし残念ながら私の仕事はその苦しみを肩代わりできるものではありません。
 霊的に見て、その方が持ちきれない霊的状況の時はじめて除霊や魂(霊)の救済を行うのであって、最後はその方自身がどう考え、どう生きてもらえばよいかお手伝いをするのが私の仕事であります。
 話は変わりますが、昨年一月と六月に東京のTBSから全国ネットのある番組で出演依頼がありました。番組の内容とゴールデンタイムの事もあり六月の依頼はその気になりその企画の打ち合わせを三回ほどして、いよいよ七月から撮影に入る予定でしたが、突然その番組は低視聴率為打ち切りになりました。
しかし今考えるとその時の企画は、もしそれが放映されていたら番組の都合上、現世利益を優先に企画されており、もし放映されれば現世利益を願う全国の人から依頼が殺到し、私の進むべき霊的真理からはずれた道になっていたと思います。幸いにも私を守護頂いている霊団はギリギリの所で私の行こうとした道を、番組の打ち切りというかたちで正しい道に回避してくれたのではないでしょうか。
 こうして脳梗塞で倒れた前後から、今日に至るまでの三年あまりの流れを回想する時、物質的や精神的、更には肉体までも仏は私を徹底的に追い詰め、私の生き方を煩悩に惑わされないように導いてくれました。言い方を変えてみれば、仏の計画のもとに生かされて来たとつくづく思うのであります。
 くり返して申しますが、今ある自身の姿は永遠に続く先祖と過去世の姿であり、決して偶然にこの世に誕生した訳ではありません。つまり先祖と前世でまいた種は刈らねばならないのです、当然現世でまいた種も同じ事です。

 今から三十五年前、「古代霊は語る」と言う本のタイトルで初めてシルバーバーチの教えに出会いました、当時はその内容に感激こそしましたが、従業員を九〇名ほど抱えた私は今日、明日が大事であり、再びシルバーバーチの教えに出会ったのは二十五年ほど過ぎた物質本位の人生の末路の頃でした。その事業の辛さから愚痴の連続で経営と金策の日々を送っていました。他人には自己啓発だの生きがいだの分った様な事を言い、今思えば経済至上主義の社会の中、それが当たり前の生活でありました。今は再度生かされて、まさに、まいた種を刈り取って行かねばならないでしょう。こうして、皆様にご縁があるのも、そのために私に与えられた仕事であると思っています。


「捨てる勇気」

 いろいろな方の悩みを聞いていますと最終的には、今ある環境を変えたく無いと言う、失うものに対する恐れであります。守るためと同時に未来を築く事に対する必死の努力と勇気はむろん大切でありますが、同時に捨てる勇気も人間時には必要です。
 中には収入が十%さがっただけで大騒ぎし、そして悩み苦しんでいる方を見る時、物質的な物はいずれ消えゆくもの、後に残るものは「空」であると、まさに般若心経に説いてある「色即是空、空即是色」であり、実態のない幻を追い求めているのです。
 シルバーバーチも同じくこう言っております、【物質なものだけに目を向けている人間は大きな過ちを犯します。なぜなら、その生き方は幻想を追い求め永遠なるものを忘れているからです。】
 昔から(身を捨ててこそ、浮かぶ瀬あり)といいますね……楽になりますよ!